裸の王様=ナルシスト?

こんにちは。

 

就活サポートコースの松岡です。

 

今日は”真の人間力”について書いてみたいと思います。

 

 

私は、就活サポートコースでいろいろな学生の皆さんの相談に乗っています。

 

皆さん、自分の夢が描けなかったり、夢があっても到底かなわないと思っていたりしますが、具体的な資料を見ながら何度もカウンセリングを続けていくと、少しずつ自分の胸の奥に眠っている夢に気づいたり、それを叶えるためにはどうしたらよいのか、というように前向きに就活に取組むことができるようになります。

 

受講生の皆さんは総じてとても謙虚で、どちらかといえば自分を過小評価しすぎている面があり、自己分析がうまくできていない傾向があるのですが、最近はこうした奥ゆかしい大学生がいる一方で、トランプ大統領並みのナルシストな若者も増えているようです。

 

 

最近流行の言葉で言い換えるのであればば、この「ナルシスト」という言葉は「意識高い系」になるのでしょうか?

 

人は誰でも他人から「良く見られたい」、「尊敬されたい」という欲求を持っています。

そういう欲求があるからこそ、人は努力するのですけど。。。。

 

ナルシストの人たちも、もちろん努力はするのですが、彼らの特徴はそれをさらに目立たせるために

「いつも明るい自分」を演じたり、議論中わざと極論を言って周囲を驚かせ、あたかもみんなより少し高みからものを見ているかのようなふるまいをします。

そうした味付けをすることによって、自分が並の人間とは違うみんなの憧れのスターのようなカリスマを持つ特別な人間のように飾り付けるのです。

 

彼らはこうした心理により、他人からの忠告を聞き入れず、そんな自分に耳障りの良い言葉をかけてくれる自分に都合の良い人間とだけ付き合うようになります。

 

もちろん、周囲の人たちは、当の本人のそうした浅はかな心理はお見通しで、受け入れているわけではありません。ただそうした人に忠告したところで自分自身が悔い改めない限り、そうした思考傾向は治らないし、逆に恨まれたりしたら面倒だ、と思って見ぬふりをしていることも少なくありません。

つまり、本当の意味での友達ではないのです。

 

それでも物事がうまく進んでいるときはいいのですが、反対にこうした人が、一度でも挫折を味わうと、びっくりするぐらい落ち込んで挫折から這い上がれません。

 

これはそれまでに耳の痛い忠告に耳を傾けることをしてこなかったため、挫折に対する免疫が育っていないだけなのですが、「じぶんだけ不幸」、「自分がこうなったのは○○のせいだ。」などと責任転嫁の発言を自分が被害者のごとく吹聴するような子供のようなことまでしたりします。

 

もちろん、そんな彼らを周囲がどう見ているのかなんて考える余裕はなく、自分勝手な正当性を主張し続けるのです。

 

つまり彼らが望むカリスマは、彼らには備わっていないのです。

 

それゆえにぼろが出る。辻褄が合わなくなり、いたたまれなくなるのです。

そうなれば、それまで周囲にいた人たちはいつの間にかいなくなってしまいます。

 

そうなってからでは遅いのです。

 

 

では、私たちがどんな人にカリスマを感じるのでしょうか?

 

 

わたしたちが話をしていて魅力を感じる人たちの多くは、人生の中で様々な苦労や挫折を繰り返し成長してきた歴史を持っています。

 

日本経済新聞の「私の履歴書」には、一流と呼ばれる人たちもまたわたしたちと同じように逆境に耐え、

考え、工夫して成功してきた歴史が刻まれています。だからこそ人は、彼らの話を読み、共感し尊敬して、彼らを慕うのだと思います。

 

安っぽいサクセスストーリーのような話は、誰の心も動かさず、誰にも関心を持ってもらえません。

 

 

 

就職の面接のとき、立派なことを言うのも悪いことではありませんが、面接官が「一緒に働きたい」と思う人は、成功も失敗も経験した、他人の気持ちのわかる人ではないでしょうか。

 

それこそが「真の人間力」であり、面接で最も重要視されるポイントのひとつであると思います。

 

まさに

 

ありの~ままの~姿見せるのよ~♪

(let it go  ~アナと雪の女王~)

 

ですね。